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三菜一汁 兼業主夫への道
by bankiero
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生を軽んじるものに、死刑はやはり無意味

Excite エキサイト : 社会ニュース

前にも書いたが、生を軽んじるものは、やはり死に対しても、あまり恐怖心とかないようだ。
先日、テレビで「子供が危ない」見たいな番組やってて、出演者の一人が、カウンセラーと称する人に「なぜ人を殺してはいけないのですか?と聞かれたらどう答えます?」と問うていた。
これ、実はものすごく重要な問題。
今の世の中、そうそう突発的な死とはお目にかかれない。
昔に比べて安全になったし、口減らしも、村八分も意味をなくした時代。
人はあふれかえり、一人でも多くの人を生産者(納税者)とするために、禁治産者(失礼)までもが、救われている。
いわんや、罪人をや。

最近のこういった犯罪者は、生活には何の苦労もない。
人を殺さなければ、自分の生が脅かされるわけではないのである。
平和な時代の、狂気の殺人者。
彼らに必要なのは、「あって当たり前である人権」の剥奪であって、死という安らぎの園ではない。

人権を奪われ、生きることも死ぬことも出来ず、ただただ苦痛とともに生きるのである。
怪我をしても、だれも振り向かないし、病気になってもほっぽられたまま。
いつまでつづくともしれない苦痛の毎日を送らせればよい。

生老病死という4つの苦しみを人は味あわなくてはならない。
その中での行いがすべてである。
生き残っているわれわれは、更なる苦を味わい続けながら、生き続けなければならない。

この関係は、おかしなものではないだろうか。
「自分の意思で死ぬこと」が認められるかどうかが論議される時代に、「極刑=死刑」というのは、あまりにも時代錯誤だろう。

生をいつくしんでこその、死への恐怖である。

彼にしてみれば、極刑でもなんでもない。
ただ自分の人生を他人が終わらせてくれただけのこと。
そんな風に感じるのである。
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by bankiero | 2006-02-17 09:56 | 雑感
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