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三菜一汁 兼業主夫への道
by bankiero
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2006年 02月 10日 ( 2 )

単純計算で、6250兆分の1

Excite エキサイト : 社会ニュース

1等から4等すべて当選 年賀状で幸運、大分の夫婦 [ 02月10日 20時12分 ] 共同通信

大分県臼杵市の会社員夫婦に届いたお年玉付き年賀はがき約350枚に、1等から4等まですべての等級の当選はがきが含まれていたことが10日、分かった。
地元の臼杵郵便局員は「20年勤務しているが聞いたことがない。非常に幸運で珍しい」とびっくり。日本郵政公社も「想定外のケースで、確率の計算は専門家に委ねるしかない」と話している。
同公社によると、1等は50万分の1、2等は5万分の1、3等は5000分の1、4等は50分の1の確率。
会社員夫婦は自宅で当選を確認して1月下旬に臼杵郵便局に持ち込んだ。


まずは、おめでとうと言いたい^^
この世知辛い世の中に、良い話題である。
単純に確率として考えた場合、50万×5万×5千×50 分の1であるから、6.25×1015であるので、6500兆分の1となる。
本格的な確率論になると、たぶん、もっと複雑な計算方法があるのかもしれないが、そういうことはわからないので、まぁ、こんなもんかといった感じである。
実際には、当選者の方々が、毎年何通の年賀状を出したのかにもよるし、その年齢や社会的背景によるとは思うが、350通は決して少ないほうではないと思う。
しかし、この確率はものすごい。
よっぽど宝くじとか、ヒト財産できそうな万馬券のほうが、確率は低いだろう。

これが、宝くじじゃないところがまた面白い。
この(本当の意味で)天文学的な確率で得たものがあまりにも質素だから、羨望や妬みのタネとなることもそうそうないだろう。
なんのウラもなく「すげ~じゃん」と言える気がする。
良い意味での数字で、現在の日本の抱える借金より大きい数字を聞くのは本当に久しぶりで、なんだか私まで嬉しくなってしまう。

本当に、手放しで、おめでとうと言いたい^^
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by bankiero | 2006-02-10 22:00 | 雑感

そこには確かに、若き日の私がいた

Excite エキサイト : 社会ニュース

<訃報>藤田元司さん74歳=元巨人の監督 [ 02月09日 21時24分 ]

プロ野球巨人の元投手、監督で「球界の紳士」と呼ばれた藤田元司(ふじた・もとし)さんが9日午後6時40分、心不全のため東京都内の病院で亡くなった。74歳だった。

1931年、愛媛県出身。西条北高(現西条高)から慶大に入学、東京六大学リーグで通算31勝を挙げたが、優勝には縁がなく「悲運のエース」といわれた。56年に社会人・日本石油(現新日本石油ENEOS)入り。同年の都市対抗野球では、29イニング連続無失点の快投を見せるなど優勝の原動力となり、橋戸賞を獲得した。翌57年に巨人に入団、1年目に17勝を挙げて新人王。2年目以降も29勝、27勝を挙げ、2年連続で最優秀選手に輝いている。スマートでマナーの良いマウンドさばきから「球界の紳士」と呼ばれた。64年に現役を引退。通算成績は119勝88敗。

巨人、大洋のコーチ、スカウトなどを経て、81年に長嶋監督の後を受けて、巨人監督に就任。1年目にして日本一となる。83年に2度目のリーグ優勝を果たすが、日本シリーズは西武に敗れ、そのオフに勇退。しかし89年、王監督が辞任した巨人の監督に再び就任。同年、リーグ優勝と日本一を果たす。90年にはリーグ2連覇を達成するが、日本シリーズでは西武に初戦から4連敗の屈辱を味わった。92年オフに勇退、監督としての通算7年間の成績は516勝361敗33分け、リーグ優勝4度、日本一2度。96年に野球殿堂入りしている。


私にとっての「巨人軍」は、長島巨人でも王巨人でもない、まぎれもなく第一期藤田巨人だった。
それはもう、20年ぐらい前のこと。
神宮球場のジュース売りのバイトをしていた時のことだった。
ジュース販売の詰め所は、選手のベンチへの通り道でもあり、試合が始まる前は、あわただしく準備をする僕達の前を選手達が悠然とベンチに向かっていった。
松本がいた、篠塚がいた、河埜がいた、ホワイトがいた、中畑がいた、江川がいて西本がいて角がいて、山倉がいた。

いつの試合だったかおぼえていないが、確か後楽園だったと思う。
リーグ優勝に大手をかけた大事な一戦。
先発、江川で快調に試合は進む、ホワイトのホームランなどで勝ち越した巨人は、疲れの目立つ江川に変わって、9回から西本をリリーフに送った。
見ていて、まるでドラマのような試合。
今でも頭の中に残っている試合。
野球選手がかっこいいと思えた時代だった。
第二期藤田巨人も僕にとっては面白い時期だったが、第一期ほどの熱はなくなっていた。
それ以来、団体プレーのスポーツにはほとんど興味を持たなくなってしまった。

神宮球場の外野スタンドで、観客と一緒になって巨人を応援していたジュース売り。
どこにでもいるとは思うのだが、そんな自分がいたことを忘れたくないと思う。

あのとき、選手ごとに決まっていた応援歌は全部覚えていたのだが、今は、その殆どを忘れてしまった。

あの面白い野球を見せてくれた、藤田元監督に、敬意と哀悼の念を持って、冥福を祈るのである。
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by bankiero | 2006-02-10 00:23